言葉と構築 そして建築

建築家高部修さんからいただいた年賀状にて、「今の建築シーンについて君は何を思いますか」という問いかけをいただいた。年初にこの原稿を書こうと考えていたので、自分なりにこの問いかけについて思うことを整理してみようと思う。そもそも建築とはなんだろうか。ここから始まらざるを得ない。 

「人類は言葉をしゃべりはじめると同時に建物を作った」とフランスの人類学者ルロワ・グーランは言ったという。言葉は音として空気に溶けてなくなる為、化石にはならないのでいつ始まったのかは定かではないらしい。推定では6万年前〜3万年前ではとのことである。一方建物はというと、マンモスの骨を組み立てた住居が世界最古の建物といわれ、およそ4万年前頃といわれる。ほぼ同時期に始まったとされる言葉と建築は、どのような関係をもっていたのであろう。

4年前にJIA愛知地域会主催で行った尾張旭市立白鳳小学校での建築教室の冒頭、こんな話をした。

四万年前の同時期に存在していた二種の人類のうち、現人類の祖クロマニヨン人が生き残り、ネアンデルタール人が滅んだ理由が、言葉を話す能力の有無によることが説明された。言葉を持つことが構築という今ないものやシステムをつくることにつながり、生存に有利だった理由を児童たちに考えさせた。児童たちは次々と挙手して発言。敵対ではなく協働するためのコミュニケーションの重要性について、参加した児童は共有した。

 

 子ども達には「言葉と構築」の話までしかできなかったが、そこから建築にどうつながるのかを改めて考えてみたい。人間が人間として生きていくためにはなんらかの形で自分の周りに安定した環境を構築する必要がある。動物として生きるにはあまりに非力なヒトは、人間として集団を形成し生きることを余儀無くされたのだと思う。集まって生きる為に建築は必要不可欠であり、建築があったから集団社会である集落を構築できたともいえる。そう考えると建築は内包する空間により活動の可能性を包含するだけではなく、建築相互の連関により集団社会の構築の可能性も包含してきたのだといえる。

 ノベルグ・シュルツは建築的空間の役割は、内側と外側の相互作用にあるという。彼の言葉を借りるならば、建築は建築的空間の内側と外側の相互作用により、人間の活動や社会構築の可能性を担保してきたのだろう。最近の住宅は内外の相互作用どころか、圧力釜のように内部の圧力が高すぎて家族が沸点に達しそうで逆に危険にさらされているのではないかと思う。わたし達設計者は、社会を構築する気構えや覚悟やそのための研鑽が足りないのではなかろうかと反省させられる。さらには、「建築は環境を自己の目的に適応させる役割を持つ」という。ここで気をつけなければいけないのが環境をただ支配するのではないということだ。